伊予鉄道3000系第5・6編成 松山港(三津浜)にて陸揚げ – 2010年4月5日

おまたせしました。伊予鉄3000系陸揚げ記事です。

伊予鉄道3000系第5・6編成 松山港(三津浜)にて陸揚げ
▲みかんの国へはるばると - 2010年4月10日

2010年4月5日、三津浜外港にて伊予鉄道3000系第5・6編成の陸揚げが行われた。
この3000系は6両は4月1日~3日未明に京王重機整備北野事業所を出発し、3日に横浜港大黒ふ頭にて船積みが行われ松山へ向け出港していった。
現地では伊予の色に染まる空の管理人氏にはいろいろお世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

伊予鉄道3000系第5・6編成 松山港(三津浜)にて陸揚げ
▲6両のうち、一番に陸揚げされたのがクハ3305(元クハ3724)
伊予鉄道3000系第5・6編成 松山港(三津浜)にて陸揚げ
▲ウマに乗せられたら、重機の職員によりスカートが外された。
伊予鉄道3000系第5・6編成 松山港(三津浜)にて陸揚げ
▲前面方向幕は「白幕」から、伊予鉄の車庫がある「古町」に。

 4月5日の東京は雨、ANA583便に搭乗、機種は767-300だった。雨雲を掻き分け、少し揺れながら高度を上げ、雲の上に出ると機体は安定した。窓からの景色を楽しもうと思っても青と白に支配された世界だった。富士山が見えるようA席を確保したのにな、ぐぬぬ、と思っていると着陸態勢に。早い。しかし自宅からの時間距離は飛行機で松山行くにも特急で銚子行くにも大して変わらないのに、なんだろうこの感覚の違いは。銚子へ行く時は千葉からがまた遠い・・・。
 松山は晴れだった。リムジンバスで市駅へ行き、高浜線へ乗り換えて山西駅で下車。そこから地図を頼りに三津浜港に向かって歩いた。搬入場所に到着したのが午前10時だった。すでに重機のフォークリフトと6両分の台車は港の端に置いてあり、車体の陸揚げ作業はもう一台のクレーンがやってきてから行われた。
 まず10時50分頃にクハ3305、20分後にモハ3105が松山に上陸した。荷物を降ろした誠洋丸は出港していった。
 ある作業員の方から声をかけられ、13時ごろまで昼休みだということを教えてもらい、伊予弁で「みんなそこで撮りよるけん、中で撮ってええよ」と柵内の安全な場所からの許可をいただいた。以前は柵なんか無く自由に出入りできたそうだが、最近テロ対策で柵が設置されたとか。物騒な世の中ですな。
 お腹もすいてきたし、昼休みに突入。

伊予鉄道3000系第5・6編成 松山港(三津浜)にて陸揚げ
▲13時30分頃、トレーラがやってきて積み込みが行われた。
伊予鉄道3000系第5・6編成 松山港(三津浜)にて陸揚げ
▲作業員の方によるとこのクレーン、1週間前に納車され今日が初仕事だとか。

 13時ちょっと前にファミレスを出て、港へ向かう。午後は作業員の方のお言葉に甘え、柵内の安全かつ作業の邪魔にならない場所から撮影させていただくことができた。午前中は柵外からの撮影でアングルの制約、広角ズームレンズでは柵が写りこんでしまったが、午後はそんな心配がなくなった代わりに逆光になっていた。
 13時30分頃陸送を担当するトレーラ2台がやってきて、モハ3105とクハ3305の積み込みが行われた。その作業が終了するとクレーン2台は海豊丸の横にまでやってきて、残る4両の陸揚げが行われた。
 伊予の色に染まる空の管理人氏はトレーラーを追いかけてきたという。以後賑やかな鉄ヲタトーークをしながらの撮影となった。

伊予鉄道3000系第5・6編成 松山港(三津浜)にて陸揚げ
▲15時頃、モハ3106に続きクハ3506が吊り上げられた。
伊予鉄道3000系第5・6編成 松山港(三津浜)にて陸揚げ
▲この角度から電車の床下を見る機会は滅多に無い。
伊予鉄道3000系第5・6編成 松山港(三津浜)にて陸揚げ
▲井の頭線3018Fのリニューアル直後はスカートが無かった。スカートの無い「3000系」を見るのは久しぶりだ。
伊予鉄道3000系第5・6編成 松山港(三津浜)にて陸揚げ
▲4両を降ろすと海豊丸は出港していった。東京では夕方のラッシュが始まる頃だ。

 電車の陸揚げは見ごたえがあり夢中でシャッターを切っていた。Exifの時刻だと、モハ3106は14時40分に、クハ3506はその20分後、クハ3306、少し間が開き15時40分、最後のクハ3505は16時に松山に上陸した。
 海豊丸は普段ロール状なった自動車用の鋼板を積んでいるそうだ。その鋼板を積むため東予へ向かい出港していった。
 伊予の色に染まる空の管理人氏の車で松山駅まで送ってもらい、疲れた体は非常に助かった。

 搬入編へ続く。