2010年9月25日の銚子電鉄は千葉国体HMを掲出した2000形2本が営業入り。
銚子電鉄2000形営業開始・伊予鉄道800形引退から2ヶ月ということで銚子に乗ってきました。
以下画像十数枚あります。
千葉出でしばらくは晴れ間が出てたりしたけど、銚子に近づくにつれて風雨が強くなり列車は旭で運転打切に。
ここからはバス代行とのことで、銚子までの所要時間は1時間程とのことだが乗ってみる。
列車代行バスはJRバス関東の車両でJR東職員が添乗しアナウンス等を行い、時折駅や他のバスと連絡を取っていた。
雨風吹く中、バスは路村が形成された2車線の道路を走り、時折峠道のようなところを通りながら銚子駅へ向う。
道路の整備状況があまり良くないところがあり揺れる、轍が水溜りになってバスは水しぶきを上げて走る。
車内は座席が全部埋まり立ち客が数人出るほどで、殆どの乗客が全区間乗りとおしていた。
銚子に着くとさっきまで強かった雨は止んで太陽が顔を出した。駅では2001編成がお出迎え。
笠上黒生での交換風景。2001編成、2002編成が両方運用入りしててよかった。盆と正月が一気に来た感じ。
営業開始日は人が多かったし長居しなかったから2000形の細かいところ今日改めて確認してみることに。
デハ2001の運転台。ワンマン機器の増設やペンキの塗りなおしが行われた。
走行中の計器を見ていると電流計は0.2kAあたりを指し、架線電圧計は0.65~0.5kVを指していた。乗客は10人程。
外から冷房のスイッチを見てみると送風にしか設定できないようにストッパーが付けてある。
運転台のMGとSIVを切り替える受給電スイッチがMG側に入っているのは営業開始日と同じ。
暖房は使えるようで座席下から暖かい空気が出ていた。
2001編成車内。クハ2501車内で撮影。車内の床材は張りかえられている。
車内の吊り広告や側引戸の窓にはステッカーの国勢調査の広告があった。
そういえば笠上黒生駅付近で国勢調査の調査員が調査票を配布していましたね。
クハ2501の乗務員室寄り。運転席後ろの遮光幕は常時閉。
小田原機器製のRX‐NZS型運賃箱と整理券機、FL型液晶運賃表示器が取り付けられた。
車内のスピーカーも黒い物に交換されている。自動放送は女声。
運転台後方の座席と荷棚が撤去されデコラと手すりが取付けられ車椅子スペースに。
夜間の写り込み対策なのか、4両とも乗務員室助士側後方の蛍光灯が撤去されていた。
ドアステッカーは伊予鉄時代の物を使用しているが、広告だった下半分は切り取られている。
クハ2501の運転席後方には伊予鉄・京王有志チーム支援者プレートが取り付けられている。
ラッピング広告の2002編成の車体番号プレート横には屋外広告物許可済シールが。
伊予鉄時代はつり革の四角いプラスチック部には広告が入っていたが、それだけ無地の物に交換された。
優先席ステッカーは新京成と同一。京成車両工業、串崎車輌と日本電装が施工した関係かと。
現在は全車搬出解体された新京成800形の部品撤去中の様子。優先席部には同一デザインのステッカーが。
この800形も銚子電鉄への譲渡計画があったが、当時の銚子電鉄社長の横領事件により中止に。
仲ノ町でデハ701・801引退記念入場券を購入したら300番台後半でした。ということで車庫内で撮影。
2000形導入により今月23日に引退した旧型車二両に惜別ヘッドマークがついている。
デハ702とユ101は外川駅側線にデハ1000は2両とも仲ノ町駅側線に留置されていた。
西日に照らされたデハ1002の側面は溶接痕が浮き出ている。
旧型車の代替は済みましたが、次なる課題はデハ1000の更新でしょう。