わくわく鉄道フェスタ控えた今月中旬に、秩父鉄道5000系デハ5004が車両基地から姿を消しました。
昨年11月に樋口No.3踏切で立ち往生したダンプに衝突し脱線したデハ5004。
このニュースは都営6000形が走るインドネシアにも伝わり現地鉄道ファンの方々も心配していました。
車両の先頭部が大破したものの、軽症のケガ人5名で済んだのが不幸中の幸いでしょうか。
事故車はオルターの一本吊りで線路から現場付近に移設され、しばらく置かれていました。
後日広瀬川原車両基地へ陸送され、オンレールではなく広場に枕木で組まれたウマに仮置されました。
事故復旧時か陸送の吊り上げで出来たと思われる車体裾のワイヤの食い込みを見ると復帰は無さそうです。
今後も大井町の8090系が譲渡されますし、車両不足という訳では無さそうなので修理せず廃車解体でしょうか?
インドネシアであればバライヤサ・マンガライの匠が白い流線型の新しい顔をくっつけそうですがね。
BY MRIの事故車、6252と6155。部品取りとなっているようです。
これだけ損傷しスクラップ同然にも関わらず解体を免れ留置中の2両。
アンコタに突っ込まれた8500系デハ8504が修理にされた際に都営6000形のドアを取付けて出場しました。
部品さえあればインドネシアンマインドで直して使いそうな気もします。
正面衝突に遭った事故車を修理した6151F “Djoko Lelono 2″。
白い流線型の頭が目を引くこの編成。ファンからはネコバス(Bis Kucing)と呼ばれています。
オリジナルの乗務員室が取り付けられ、裾部の外板が張り替えられていたりと手が込んでます。
Djoko Lelono 2と書かれた愛称板。
なせドゥアなのかというとエコノミーのKL3に流線型の頭を付けたサトゥがいるんです。
スコールに打たれる”Djoko Lelono 2″。事故の影響なのか老朽化なのか雨漏りしてました。
運転台は既存の部品を生かした運転台。新しい顔になった際に右ハンドルになりました。
スピードメーターは現地仕様の物が取付けられていましたが針は走行中も0を指したまま。
ティダアパアパ〜。
昨年末の滞在中はジャカルタコタとカンプンバンダンを往復する運用に入っていました。
堂々8連のHibah。PT.KAIの車両は東海色の103系を除いて黄色と青色帯の塗装に統一されつつあります。
インドネシアの傷だらけの6000形を見てから秩父の5000系を見るとまるで新車のように見えます。
5004が事故に遭ったためで1月に検査を受け構内試運転中の1010F。
現在は車両故障で運用離脱しているようです。
先週末の広瀬川原。事故車の片割れの5204と5104が屋外に出てきて部品取り車と並んで留置中。
1002Fが解体中。今回は現地スクラップではなく、半分に切断されトラックで解体場へ運ばれました。
この編成の解体についてはまたの機会に。