電車の墓場 インドネシア プルワカルタ

電車の墓場
ジャカルタから100kmぐらいのところにあるプルワカルタ。そこに役目を終えた電車たちの墓場があります。
電車が積み上げられている様子をみると北関東の某解体場で半分に切断されたKOや小田Qの車両が重ねられてスクラップの時を待っていた光景を思い出しますね。もう10年ぐらい前の話でしたっけ。

横浜線の導入を控えてかなのか、今回導入された18編成の留置場所を確保する為かはわかりませんが、3月下旬からHolecをはじめDjoko Lelono 1、Nanboで留置されていたNew Marcoとステンレスのエコノミーも続々とここへ廃回され、廃車の山が出来上っているようです。訪問時はプルワカルタ新山ぐらいの規模でしたが、最近現地のファンが上げた画像を見ると行徳富士プルワカルタ富士とでも名付けたいぐらい見事な山になっていました。また訪れて登頂してみたいです。

おっさんたちの憩いの場
アダム氏のガイドでKA SERAYUに揺られてやってきました。
3等客車ながらも乗車率は少なく、電源コンセント完備、家庭用冷房の効きもそこそこで快適な車内でした。
車内販売のMasがナシゴレン弁当売っていましたが、ホテルでお腹いっぱい食べてきてしまったので、次の機会に食べましょう。

列車を降り、留置されている車両を見てみます。廃車は近所のおじさんたちの集会所に。
積み上げに備え床下機器が取り外され、線路と線路の間に置かれていました。もうこの車両も積み上げられていることでしょう。

旧機関庫
廃車になった客車・気動車・貨車が置かれているのはかつての機関区。
レンガの機関庫内には先頭車2両と貨車数両がオンレールの状態で留置されています。

パンタグラフは遊具
旧機関区一体は公園や緑地のような近所の人の生活空間の一部となっており、このような光景を見ることが出来ます。
遊具のパンタグラフ。廃車体のジャングルジム。ガラクタ公園以上のガラクタ感。
車両の破壊具合と駅の近さを考えると新砂あゆみ公園的な位置づけですかね。

椅子有り
鋼製車だけではなく、ステンレス車、VVVF車のHolecもゴロンと積み上げられるとは。ぜんぶ205系のせい(?)

台車三段重ね
台車はまだ線路の上にあったり三段重ねにされていたり屋根の上に置かれています。
インドネシアの電車の屋根には人だけではなく廃車体と台車も乗るようです。三段重ねの台車の登山口を使って五合目へ。

HITACHI HS-836 TRACTION MOTOR
モーターは西武でよく使われている日立のHS-836系。MT54と同等品でしょうか。
ステンレス車の冷改が見送られればナイスなモーター音を再び聞くことは無いかもしれません。

NIPPON SHARYO ND112 BOGIE
電動台車の銘板ND-112。富士急5000系で使われているDT21系の物とは別物です。
この台車は1985年製。Hibahとかより若いのにねぇ。日車製と川重製がありました。

喫煙は二十歳になってから(日本の場合)
五合目から見えたのは地面に置かれた車両のドア部のステップに腰掛けてタバコをのむ少年たち。
エコノミーがバリバリだった時は開けっ放しのドアの所で下校途中の小学生がぷかぷか吸っていましたっけ。

トレインオントレイン
2011年末訪問時はバリバリ走っていた電車が電車の屋根上で横倒しになっているんですよ。
前面は落書きだらけ。向きからして地上に留置してあったときに書かれたんでしょう。
次回書くときは「エコノミー解体阻止」「露天商強制排除反対」「○生粉砕」あたりからお願いします。

廃客車たちと廃KRD
廃客車・廃KRDゾーン。ここは訪問後にエコノミー積み上げのため整理されたようです。
燃えた客車なんかすぐ解体できそうなのに放置しておくのかが不思議です。
鉄骨カッターでスクラップにして中国あたりに雑品で輸出してしまえば良いんじゃないかと素人は思ったわけです。
捨てられないとか潰せない理由でも有るのでしょうか。謎です。こんなこと言っていると知らぬうちに消えてるんでしょう。

操重車と救援車
下山。駅構内には操重車と救援車がスタンバイ。週明け17日からのレールオフ作業の為に回送されてきたとか。
救援車の中を見せていただくと職員の方がくつろいでいました。寝台や復旧機材のほかにカラオケセットも。
誰も歌ってませんでしたが、ズンドコ節がスピーカーから流れていました。

エコノミー搬出用クレーン部材
帰りの切符の購入とAQUAが欲しくなったので外へ。
駅前で待機していたトレーラーはバンドゥンからコベルコのクローラークレーンの部材を輸送してきたようです。
パクアン急行氏のHolec廃回レポートでこのクレーンの姿を確認することができます。

灼熱地獄!鈍行コタ逝き!!
プルワカルタの始発の3000ルピアの客レ。行きと違って電源無し、ヘッドレストのカバーは無し。
普段は空いているそうですが、この日は週末だったので途中の駅で都心へ向かう客を拾い、ブカシまで立ち客が通路を塞ぐ程乗ってきました。
物売りと乞食も身をよじりながら客と客の間を通り抜けて編成間を移動していました。
そんな状況ですので車内の熱気には家庭用冷房の冷気では全く太刀打ちできません。行きと帰りで天国と地獄を味わうことに。
ボックスが一緒になった気さくなおっちゃんが厚揚げ的なタフもらったり、物売りでにぎやかな車内は退屈しません。
だれかが携帯で音楽流すと車内の何人もが歌いだしたりと乗客が一体になっている様子が面白かったですね。
チカランからブカシは電化工事が進行中。沿線には架線柱が立ち始めていました。また来るときには電化が済んでいるかもしれません。
パサールセネンを出ると車内はガラガラになったものの手前あたりからノロノロ運転だったり電車が進まなかったりで遅れがどんどん拡大していました。
12時にプルワカルタを出て、コタへ到着したのが4時前だったと思います。4時間かかっても30円。安い!
アダム氏、ガイドありがとうございました。