片道6000ルピアの客車列車で行く、電車の墓場プルワカルタ訪問の旅

プルワカルタ駅 電車の墓場
正月早々Purwakarta駅へ行ってまいりました。山のように積み上げられたエコノミー電車の解体が始まったとの情報を得て、4年ぶりの訪問となりました。
インドネシアの新年はお休みでジャカルタと各地方都市で民族大移動があるため、優等列車は軒並み満席となっており鉄道会社のアプリから予約が出来ない状態でした。
プルワカルタ駅に行く為には、アプリに掲載されていない鈍行列車に乗車するか、高速バスで向かう必要があります。
幸い6000ルピア(約45〜48円)の鈍行列車チケットが購入できたので、TanjungPriok駅から約3時間かけてPurwakarta駅へ向かいました。

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東京メトロ千代田線6000系 6130F Dipo DPへ回送される

2018年12月24日から25日にかけて、インドネシアKCIに譲渡された東京メトロ千代田線6000系6130Fが、CC201機関車とディーゼル救援車のプッシュプルで、Tanjung Priok駅からDepok車両基地へ回送された。
東京メトロ6000系6130F CC201 92 20 Dipo Depok行きKLB
深夜、長いお鼻のCC201を先頭にBNI市駅を通過する6130Fの配給回送。
CC201のライトは闇を切り裂くような眩しさだった。

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東京メトロ千代田線6000系6130F TPKへ回送される

2018年12月24日、インドネシアKCIに譲渡された東京メトロ千代田線6000系6130Fが、ディーゼル救援車(NR Djoko Tingkir)に牽引されPasoso駅からTanjung Priok駅へ回送された。

東京メトロ6000系6130F NR牽引回送 スラム街通過
建築限界なんて関係ない混沌とした線路に迷い込んでしまった6130F。
営団マークと運転台にさよなら装飾を掲げた千代田線6000系が、線路の両脇にスラムがびっしりと貼りついたカンプンの中を通過していきます。この線路脇の密度は日本国内ではまずありません。トタンの庇や軒先に吊るされた洗濯物に接触しながら走る様子は「建築限界測定車」のよう。
6130Fについては、一連の流れを撮影できましたが、まずはカンプン通過回送から掲載していきます。 続きを読む

アルゼンチンから帰ってきた赤い丸ノ内線500形

2016年7月に丸ノ内線500形の584, 734, 752, 771号車がアルゼンチンから帰国し、中野工場へ到着しました。
584, 734, 771号車は、車体の復元と修繕のため2017年3月から8月にかけて新木場CRに入場していました。
営団地下鉄丸ノ内線500形 771号車 中野工場搬出
写真は2017年3月に撮影した中野工場搬出作業。
方向幕、全面窓の編成表記、側扉上や窓のステッカーはB線時代のままでした。
入場前は上の写真のように肌が荒れくすんでいましたが、出場時は赤くつやつやの肌で出場しました。

帰国から新木場CR出場までを振り返ります。
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保存車 丸ノ内線400形 454号車 搬出

日出幼稚園 保存車 丸ノ内線400形 454号車 搬出
目黒のビルの谷間で真っ赤な車体にサインカーブが描かれた丸ノ内線400形を発見!
トーヨーのマルチに台車ごと積載された454号車。その姿は一見、海外譲渡車の陸送のようです。

バブリーな時代に三越で商品として展示され、1989年に目黒にやってきたこの車両。
保存場所の幼稚園の改築工事が行われるため解体されてしまう運命のようでしたが、
「譲渡先が決定」したとの情報から、新たな保存場所へ運ばれるのでしょう。

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北陸鉄道浅野川線8800系 8801F・8802F

北陸鉄道浅野川線8800系 8801F 8802F
写真左の北陸鉄道8801Fの種車は井の頭線3000系3001Fの両先頭車。昭和37年東急車輛製。
写真右の8802Fの種車は元3002Fの両先頭車で昭和38年東急車輛製。両編成共に平成8年京王重機改造。

内灘駅では片開きドアの3000系末期の富士見ヶ丘検車区を思い出す並びを見ることが出来ました。
それでは、もうじきデビューから50年を迎える北国の3000系に乗ってみましょう。
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